熊野本宮
このページです水呑王子(みずのみおうじ)伏拝王子(ふしょがみおうじ)山とわがらの暮らし

山を育てる

「紀伊山地」は標高1,000メートル級の山々が縦横に走る山岳地帯で、平成16年7月、「紀伊山地の霊場と参詣道」
として世界遺産に登録された。そこは神の宿る聖地と考えられるようになり、また神仏習合の影響で、菩薩の浄土
にも例えられるようになり、山岳修行の舞台ともなった。
熊野古道は、中世の頃から都をはじめ全国から人々が訪れた道である。文化的景観は世界でも類を見ない資産と
して価値が高く、今回の世界遺産登録となった理由もそこにある。

この貴重な財産を守り続けていくことは、本宮の山を育てていくということにもなるだろう。
紀の国和歌山。本宮町は総面積の約90%が森林である。
車のない時代、伐採した木材を筏にして、熊野川を下り丸1日かけて新宮まで運び、新宮から物資運び栄えてきた本宮。
しかし、価格の安い輸入木材などの影響で伐採量も減少し、林業に携わる人々も50歳以上の人がほとんどとなった。

これからの山づくり

水を吸収し、空気をきれいにする。水を浄化し、水源にもなる。土砂の流出を抑え、災害を防ぐ。癒しの場になる。
山を育てることは、地球をよい状態に保っていくということにつながっていく。
熊野古道の発心門王子の周辺で植林活動を行なっている話を栗栖敬和さんに聞いてみた。

栗栖敬和さん   くりす  ひろまさ
 栗栖 敬和さん

大手観光ホテルに支配人等として勤務したあと、本宮にUターンをする。
父親がやっていた林業を引き継ぎ、自らの山林より切り出した木材を使用し、熊野・川湯温泉にペンション「あしたの森」を建設、経営をされている。
世界遺産登録となった為イベントなども多く、本宮町観光協会の会長としても
忙しい日々が続いている。

山づくりに携わりながら、訪れる人々に本宮の自然や文化、
暮らしを伝えている「山の護り人(まもりびと)」である。

ペンションあしたの森ホームページ


山を見ると、その木の良し悪しはすぐに分かる。
まず、その山の色を比べてみる。
木の種類は同じでも、写真をみるとその発育状況がはっきりとしている。(天気:曇りでの撮影)

 幹は細く、枝と枝の間が開いている。
 緑色もはっきりとしていない。
  幹がしっかりしており、鮮やかな緑色。
  きれいな木の形である。


苗木を植えてから15年から20年たつと、木の間が込み入ってきて、お互いが成長を阻害してしまう。
そこで、木の成長をよくするために本数を間引き、成長を促す間伐を行う。
これを怠ると、木々が密集して林の中に光が届かなくなり、暗く、草も生えずに地面がむき出しになる。
そうなると、雨で栄養分に富んだ表土が流されてしまい、崩落の原因にもなる。また、木の成長も悪くなるばかりか、
幹の細いひょろ長い木ばかりになり、強風や大雪で倒れやすくなる。
そのため、植林後25年間くらいは間伐を行う必要がある。伐る木は、曲がった木や二股の木、枯れかかった木など
活力のない木を選木する。
間伐は木々の成育を助け、森林を健康に保つのに大切な意味があるのだ。

船玉神社と熊野の森

熊野詣に来る人々が本宮大社を前にして歩いて渡った音無川。(元々熊野本宮大社は熊野川・音無川・岩田川の中州にあった。)
その音無川の上流に船玉(ふなたま)神社がある。

この神社は船の神様を祭った神社。
熊野古道の猪鼻王子近くにあるが、こんな山奥に船の神様がいるのはなぜなのか?

紀州の材木は奈良時代あたりから良船の材料として認められていたらしい。
神様が初めて船を作った木が熊野の木とされていることがこの地に船の神様がいる由来となっているようだ。
音無川 
船玉神社の前は音無川が流れている。この音無川は本宮まで続き、熊野川と合流する。明治22年までは合流した中州に本宮大社があったが、水害で現在の場所に移築された。
こんな山奥に舟の神様がいる・・・
船玉神社

船玉大社の由来

じげ(地元)の言葉で、本宮の民話などを集めた「熊野本宮の民話」にはこのような伝説が
紹介されている。

「ずっと昔の話で、いつの時代かはわからんのやけど、玉滝という滝つぼがあって、
その落ちつぼが大きな淵なってあって、そに1枚の木の葉が落ちて浮かんでいた。
ほいたら、そこに笹がに(蜘蛛)がさぁーと降りてきてうまい具合に、ちょうどその木の葉の上に乗っかかったんや。
折りよう、風が吹いてきて、その木の葉が流されて岸に辿り着いつき、、笹がには岸によじ登って、
命が助かったそうや。
そこを神様が通り合わせて、その様子をじっと見ておられたが、船をこしらえたらええんやと思い付かれたそうや。
それで、楠をくりぬいて丸木船を作られたそうで、これが最初の船であったといわれる。
船玉神社は本宮大社の奥の院にあたり、山の形がちょうど船の形をしているのでその山を船玉山(せんぎょくざん)と
よんでいる。」

「熊野・本宮の民話」 和歌山県民話の会刊 より引用

音無川のちょうど河口にあった本宮。月に1度魂のようなものが、川を上下して通ったといわれていた。
これは民話のなかでは「みよろの星」と紹介されている。
その為、音無川の流域は常に清浄にしておかなければならないとされていたようだ。
現在、玉滝は水害によって埋まってしまい、残念ながらその姿を見ることはできない。

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